旧宮前家別荘の歴史

旧宮前邸別荘 年表


昭和9年(1934年) 宮前邸別荘 完成
昭和50年(1975年) 平氏 銅像建立
平成10年(1998年) 万場町 宮前邸の土地を購入、別荘を寄贈される
平成12年(2000年) 塀が取り壊される
平成15年4月(2003年) 万場町・中里村が合併 神流町誕生
平成16年3月(2004年) 公園に新しく診療所を建てる計画やコイコイアイランドに水族館を作る計画に伴い、旧宮前邸を取り壊し、バス停のための駐車場・待合室・トイレなどを建設するための予算が神流町議会で承認される
平成16年5月3日〜5日 旧宮前邸別荘の送別会として、イベントを開催
旧宮前邸別荘の歴史  宮前 崇氏

建設者 宮前 テツ平氏 明治18年7月25日生
明治41年明治薬学校(明治薬科大学の前身)卒業、薬剤師試験合格
渋川市に薬局を開設、宮前薬局の基盤を作り、
職域を通じ社会奉仕の観念に燃え同士内助の功に支えられ、
群馬県薬剤師会長、日本薬剤師会理事を歴任、
また第一次世界大戦に於ける化学兵器の悲惨を憂い、
群馬県国防科学協会を設立、県下各地の指導と啓蒙に力を注ぐ
* 昭和35年11月藍綬褒章受賞
* 昭和39年勲五等双光旭日賞の生存者叙勲を拝受
墳墓の地である、ここ万場に別荘を建設された
宮前 テツ平氏は宮前 崇氏(現、山屋薬局)の亡父、鼎さんの叔父にあたる
*二階の襖の書は テツ平氏、一階の襖の書はその兄:公平氏の書である

建設年月 昭和9年6月上棟(写真裏に日付あり)

棟梁(大工)新井 源八氏
幾多の建造物を観察した後に、前橋のある料亭をモデルに設計、建設に至ったと聞く。
現存する今井屋旅館など、万場にある多くの建物を手掛けた。

建設費用 1万円で請負
当時、家一軒の建設費用は千円出せば立派な家が建てられた
当時の1円は、現在の貨幣価値に換算すると約590円
単純に計算すると、現在の貨幣価値で590万の費用がかかったことになる

使途 別荘は、保養と避暑に利用され、テツ平さんとお子さん(一男四女)が避暑に来られた。
現在コイコイアイランド右側にある銅像はテツ平氏夫妻であり、長男:たけし剛さんが昭和50年7月建立され、別荘東南に建てたものを移動した


左がテツ平氏、右が兄の公平氏


万場は  テツ平翁のすべての故郷

そして、永遠に郷土の空を仰ぎ、子孫の歴史を見つめる

それが、 テツ平翁の心であり祈りである


長男、剛さんが銅像の建立時の作

余談   丸岡 輝彦氏 (戦後まもなくの頃から別荘の管理をされつづけた)

 テツ平氏は「一階の床柱は黒檀を使い飾ったが、二階は黒柿に材料を落としたのが残念」と悔やんだという。
当時、黒檀は高級品で高価だった。請け負った棟梁新井氏も一万円では済まず「足が出た」との後日談。
当時の習慣は職人の接待も丁寧で毎日お酒を振舞い「棟梁送り」の歌があり、酔った棟梁を送り届けるなど、施主による大振舞が工事の間続いたという。
別荘の管理は年1回程度通常の掃除をし、テツ平さん等が利用される時は連絡があり、其の前日に掃除をするくらいで、畳を上げての大掃除、また普請は一度も無い。現在使用されている畳は当時のまま、建物の構造が空調まで計算されたものかと感心させられる。
千両富源といわれ、今流で言えば「超々富豪」と訳せばいいか、大富豪でもあった。
万場分の財産管理はテツ平氏の実兄、公平氏が行い、宮前薬局の元店員であられた丸岡輝彦さんに指示や意向を伝え、下刈りや別荘の管理等の作業が行われた。